サン・スヴェールの黙示録






<解説>  文学部教授  高野禎子


 現在、パリ国立図書館所蔵の『サン・スヴェールの黙示録』は、11世紀後半に南仏 ガスコーニュ地方、サン・スヴェール修道院で制作されたもので、中世の写本装飾の歴史において独自な位置を占める一群の黙示録写本、一般に 「ベアトゥス本」と呼ばれている写本群の中の一例である。

本学の図書館には、この写本の貴重なファクシミリがある。「ベアトゥス本」とは、8世紀後半に北スペインのアストゥリアス地方リエバナの修道士ベアトゥスが、イベリア半島における異端論争からキリスト教の正統な教義を護る目的で編纂した一冊の「ヨハネ黙示録註解書」が、次々に筆写されて各地の修道院に伝えられたものをいう。
ベアトゥ時点で挿絵が施されたか、正確なことはわからないものの、相当早い時期であったと推測されている。
現存するベアトゥス写本の数は33点で、そのうち挿絵のあるものは、10〜13世紀にかけて制作された計26点を数える。『サン・スヴェールの黙示録』はこれらベアトゥス本の中で、年代順に並べるとほぼ中間に位置しており、制作地については、他の写本がすべてスペインであるのに対し、唯一ピレネーの北のフランス側である。
こうした出自の相違ゆえか写本画についても、主題選択や描写のしかたなどにさまざまな特徴が認められる。とりわけその鮮やかな色彩と躍動感に満ちた描線には、他の写本に見られない大胆で独創的な造形感覚が息づいており、12世紀の西南フランスを中心に発達するロマネスク聖堂の壁画や写本装飾と密接な繋がりのあることが知られている。

ここに掲げた図(fol.119)は、「ヨハネの黙示録」第7章にある、神の子羊が六つの封印を解き終えて最後の封印を解く前の小休止の場面で、大地に吹く四方の風を引止め、イスラエルの子等に救いの印をおすために天使が遣わされる情景である。
上下方向に引き伸ばされた大きな円は、世界を表わしている。周囲を取り巻いて青く波打つ色帯には魚や水に棲む生き物がゆったりと泳いでいて、そこが大河ないし海洋であることを銘文とともに示す。
円の内部は大きく三つ洋であることを銘文とともに示す。円の内部は大きく三つの区画に分けられる。色彩の異なる複数の層で画面を区切るやりかたは、この写本に特徴的な構図法で、下層の大地を二種の赤で変化をつけたり、列をなして並ぶ中段のイスラエルの人々が思い思いの足並びや手の表情をみせて語らいながら神の救いを待ち望む様子がいきいきと見る者に伝わってくる。
一方、四方の風を引き止める天使たちは、明るく澄んだ黄色の円を背景にくっきりと浮かびあがる。彼らの両手にしっかりと押さえ込まれた風には、古代風の擬人表現が見られ、顔から直に翼の生えたユーモラスな姿である。神から遣わされたもう一人の天使が、向日葵の花に似た太陽の方角からやってきて、左手に持った神の刻印の十字架を人々の上にかざして祝福を約束する。この箇所は「黙示録」本文では次のように書かれている。

“わたしは四人の天使を見た。彼らは地の四隅に立って、四方の風をしっかり押さえ地にも海にもすべての木にも吹きつけないようにしていた。またもう一人の天使を見た。この天使は、生ける神の刻印を持って日の出る方から上がってきた。そして、地と海とに害を加える力を与えられている四人の天使に向かって高らかいる四人の天使に向かって高らかに叫んで言った。「わたしたちが神のしもべらの額に刻印を押すまでは、地にも海にも木にも害を加えてはならない。」”「ヨハネの黙示録」7の1〜3.“地にも海にも木にも害を加えてはならない”と、黙示録はいう。
そうした章句を最大もらさぬよう写本画家は工夫をこらした。海も大地も木々たちもそれ自身の存在を主張して、画面に統一感を与えている。ベアトゥスはその註解のなかで、旧約の「エゼキエル書」37章、および「ダニエル書」7章に言及し、死者の蘇りのための「四方の風」の象徴的な意味にふれながら、人々に救済を説く。古代世界に淵源を持つ風の擬人像、さらに太陽を火にみたてると、世界を構成する四つの元素、火と水と大地と空気(風)とがそろって登場していることなど、宇宙の縮図がここに描き出されている。







『サン・スヴェールの黙示録』には、この図を含めて全部で97点の挿絵が付され、テクスト頁とともに計292 葉より成るこの羊皮紙写本の大きさは、365 ×280 aである。内容的にみると、全体は三つの部分に分けられる。
初めに導入部があり、次に黙示録本体の部分(fol.14〜216)が続いて、最後に聖ヒエロニムスの『ダニエル書註解』が付けられている。このダニエル書の註解には、挿絵全体のうちで12点が当てられており、まとまりのある興味深い図像群となっている。


         <アルファ> と <オメガ>
ギリシア文字の最初と最後を装飾的に描いたもの。「黙示録」第1章、21章他にある”わたしはアルファであり、オメガである(万物の)初めであり、終わりである”という記述による。
      『サン・スヴェールの黙示録』fol.14と26


[追記]2000年の区切りの年を目前にしてヨーロッパはもとより、日本においても様々なかたちで「黙示録」についての関心が高まっている。
高価で貴重なファクシミリのみならず、昨年岩波書店から出版された翻訳本『ファクンドゥスのベアトゥス黙示録註解』などの、比較的安価な一般向けの書物も店頭に並ぶようになった。
その本の序文をお書きになった辻佐保子氏によると、修道士ベアトゥスは自ら序で、彼の註解書が他のすべての書物を開く鍵であると述べているという。
ベアトゥスが意図したのは、「黙示録」を単に『新約聖書』の結びの一書として捉えるのではなく、「福音書」に近いものとすること、さらに一歩進めて、『聖書』そのものと考えられた可能性にまで辻氏は言及されている。このことは、ベアトゥス黙示録について考察する上でもっとも核心をついた重要な指摘であると思われる。