| - ステパノス版プラトン全集 - |
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<解説> 本学元副学長 今道友信 本学図書館には、欧米の古い大学でも備えている大学は限られている、といわれるひとつのアカデミックな宝物がある。 それは、全三巻の大型の古書で、『ステパノス版プラトン全集』である。 中世の写本をもとに、近世になって最初に印刷されたプラトン全集は、1513年ヴェネチア刊行のアルド版であるが、本学所有の版はそれに次いで古く、しかも学問的に最も権威ある古書で、1578年パリで刊行されている。 この書物は、左右見開きの頁の中央部がギリシャ語原典、両開きの頁の中央部がギリシャ語原典、両端部がセラーヌスのラテン語訳で、古典対訳の典型にもなっている。 第一次世界大戦で日本は連合国に属し、戦勝国となり、経済は順調であった。敗戦国ドイツはマルク暴落とインフレイションで苦しみ世界的古書籍商であったHallersberg博士も、多くの貴重書を日本の学会に売却した。この人を介して、少なくとも三部の該プラトン全集が日本に送られた、といわれている。 さて、1949年というと清泉女学院に国文科、英文科、英文予科が設立されて間もない頃で、清泉女子大学開学に向けて準備中の年であった。 第二次世界大戦直後で、敗戦国の日本は貧困の極をしのいでいた頃である。その六月、ある富裕な学者の所蔵していた、ステパノス版プラトン全集が、書籍に関する知識の持ち主だった先代の松村書店主に買いとられた。松村氏は私に「どこかこの貴重な本が生きる大学に売りたいから、店頭には出さない。破格の高値になるが、日本文化の将来のために、良い大学を探してくれないか」と相談を持ちかけてきた。 当時、わたしは東京大学の大学院生で、清泉女子学院で哲学と倫理学の非常勤講師をしており、翌春の大学開学に向けて、当時の大先生達の足下で、微力を尽くしていた。 このような本を清泉に、と若人の夢で松村氏に持ちかけると、わたしの知る限り、東大と京大にしかない本です。そんなまだ出来てもいない大学に渡すくらいなら店頭に出しますよ、といって怒られたのである。いつかすばらしい大学になって、この本を使いこなす学生で一杯になるだろう、と心の中で思っていたわたしは、その足で郵便局に急いだ。 そして、当時の長距離電話で、横須賀のエルネスティナ・ラマリヨ修道女に委細を話した。高価な値段のことも告げた。わたしは、電話口で二分くらい待った。 その御返事はこうであった。「よろしゅうございます。買うことに致しましょう。その本屋さんのご主人に仰言って下さい。その御本を大切にして、その御本が生きるような、立派な大学に育てるつもりでございます、と。」今でもこの言葉を思い出すと、涙のにじむ時がある。 そして、大学院が設置された今、わたしは、遠い日の夢をひそかに重ねてみて幸福である。 |