吾輩は猫である(縮刷本)




<解説> 文学部教授  藤澤秀幸


 夏目漱石の最初の小説『吾輩は猫である』は雑誌「ホトトギス」に、第八巻第四号(明治三十八年一月一日)から第九巻第十一号(明治三十九年八月一日)まで、断続的に十回にわけて発表された。

「ホトトギス」は正岡子規が俳句改革新運動の拠点とした俳句雑誌であり、「ホトトギス派」という近代俳句で最も有力にして重要な流派の名称の由来となった雑誌である。
そもそも夏目漱石と正岡子規は第一高等中学校・帝国大学文科大学の同級生であり、卒業後も俳句などを通じてさらに 親交を深めていった。
たとえば漱石が愛媛県尋常中学校の英語教師として子規の故郷である松山に赴任した時には、病気療養で帰郷していた子規と生活を共にしたほどであった。
そして子規を通じて高浜虚子・河東碧梧桐をはじめとする「ホトトギス」同人たちと親交を結ぶようになった。明治三十五年に子規は病死するが、「ホトトギス」は高浜虚子に継承された。その高浜虚子に勧められて書いた小説が『吾輩は猫である』である。

だから『吾輩は猫である』は俳句雑誌の「ホトトギス」に発表されたのである。虚子の誘いは「写生文」であった。漱石は斬新な趣向、すなわち〈猫が書く写生文〉という趣向で見事にそれに応えた。漱石は一回限りの短編として書いたのだが、好評だったため、「ホトトギス」誌上に続きを書くこととなり、結果として全十一章の長篇小説となった。



 単行本は上篇(第一章〜第五章)が明治三十八年十月に、中篇(第六章〜第九章)が明治三十九年十一月に、下篇(第十章・第十一章)が明治四十年五月に、大倉書店と服部書店の協力で刊行された。
橋本五葉による装幀で、紙装、角背、天金、アンカットの菊判である。大きな菊判で三分冊であったものを、大倉書店が小さな三五版の一冊にまとめて刊行した。
それが本学の図書館が所蔵する『吾輩は猫である』の「縮刷本」である。 
たて15.0センチ、よこ9.0センチの三五版で、厚さは2.2センチである。紙装こば折れ、角背、天金。菊判三分冊の単行本と同じく橋本五葉による装幀で、巻頭には菊判単行本の序文を再録した「上巻の序」「中巻の序」「下巻の序」がある。1頁から751頁までが本文で、752頁には橋本五葉による猫がビールを飲んでいる絵がある。
言うまでもなく、この小説は猫がビールを飲んで酔っぱらって甕に落ちて死ぬという結末で幕を閉じるのである。

「縮刷本」の初版は、明治四十四年六月二十七日印刷、明治四十四年七月二日発行、定価一円三十銭である。本学図書館の所蔵本は大正十三年五月五日発行の一〇一版で、定価は二円二十銭である。現在の貨幣価値に換算すると約三千五百円になる。ロングベストセラーの本であったこと、見かけは小さいが、意外に高価な本であったことがわかる。