「天上のヴィーナス・地上のヴィーナス」








ボッティチェルリの<春>

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<解説> 文学部元教授 荒木成子


 昨年の春にキリスト教文化学科の卒業生のお父様であられる三浦印刷社長三浦久司氏からボッティチェルリの<春>と<ヴィーナスの誕生>のすばらしい図版を収めた大きな帙(箱)を図書館にご寄贈いただいた。

 これは1982年に三浦印刷創業50周年を記念して限定300部作られた見事な図版集であり、その高度な印刷技術には圧倒される。解説書も付されており、若桑みどり氏が「ウェナス・ウラニア・パンデモス」、蓮見重彦氏が「視線・物語・断片」と題して、作品について語っておられる。

 色彩の美しさは見事というほかはない。また、細部の拡大図版のおかげで、ボッティチェルリのあの美しい線のハーモニーを間近に鑑賞することができる。三美神の髪の房が優美な線を描きながら、額に垂れ、肩の上に流れ落ちてゆくさま、透き通る衣の襞が複雑な流れを描きながら風になびいているさまをつぶさに見ることができる。実際に作品を目の当たりにしても、ここまで細部を詳しく眺め、その優雅な線の流れを確認するのは難しいだろう。春の園を彩る花々の描写もまるで日本の蒔絵を思わせる風情がある。
 
 ボッティチェルリのヴィーナス二作品はフィレンツェのウフィツィ美術館を代表するルネッサンスの名作中の名作である。<春>はヴィーナスを中心に八人の人物によって構成される春の王国の様子を描く。右から西風のゼフィロスとニンフのクロリス、ついで花の女神フローラ、中央にヴィーナス、その左に優雅に踊る三美神、左端にメルクリウスが立つ。加えてヴィーナスの上方には目隠しをしたキューピッドが三美神のひとりに向かって矢をつがえながら飛んでいる。この人物たちがどのような意図でもってここに相集っているのかについては、研究者によってさまざまな意見があり、未だに多くの謎を残しているが、まさにヴィーナスが治める王国の春を描いていることは間違いないだろう。


ボッティチェルリの<ヴィーナスの誕生>

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  <ヴィーナスの誕生>は海の泡から生まれたヴィーナスが貝殻に乗って今まさに陸地にたどり着こうとするところを描く。西風ゼフュロスがニンフとともにヴィーナスを岸へと送り届けようと風を送り、陸地では時の女神ホーラがヴィーナスの体に着せかけようと、衣装を持って待ち構えている。穏やかな海にはバラの花が女神を讃えるように舞っている。

 この画集が「天上のヴィーナス・地上のヴィーナス」と名づけられているのは、<春>の着衣のヴィーナスが地上のヴィーナスを、清らかな裸体で描かれた<誕生>のヴィーナスが天上のヴィーナスを描いているとの説に由来している。ルネッサンスは古代復興の時代であり、古代の思想がキリスト教思想と結び合った時代であった。新プラトン主義に基づく二人のヴィーナス論は、美によって永遠の真理に導かれる人間の可能性を謳い上げたものといえる。永遠の美を湛えるボッティチェルリのヴィーナスをこの画集でじっくり味あうのは無上の幸せである。