北原白秋の特集

















              北原白秋著 『白南風』

            有光隆司(本学日本語日本文学科教授)

 『白南風』は昭和9年4月、アルスより刊行された、A5判642ページからなる北原白秋の第6歌集である。大正15年暮春より昭和8年年末にかけての「東京転住以来の生活を主としたる」短歌1300余首、長歌14編が収録されており、全体は「天王寺墓畔吟」「緑ヶ丘新唱」「世田ヶ谷風塵抄」「砧村雑唱」の4章仕立で構成され、自ずとそこに四つの風景が映し出されている。作風は白秋自ら言うように「自然観照」の態度によるものである。

  このたび清泉女子大学附属図書館では、その原本、編集用本、初版本、改定普及版本2冊、および新装普及版本、併せて6冊を購入した。6冊の内訳は次の如くであり、その内@ACに白秋自筆の書き込みがある。

@原 本(A5変型判)装幀 北原白秋 奥付なし。夥しい書き込み有り。
A「編輯用」本(初版象嵌指定原本)(A5判)装幀 北原白秋 昭和9年3月18日 アルス*自筆で三月の三を消して四と訂正してある。書き込み有り。
B初版本(A5判)装幀 北原白秋 昭和9年4月20日 アルス
C改定普及版(四六判)装幀 白山春邦 昭和11年7月10日 アルス*自筆の訂正箇所有り。
D改定普及版(四六判)装幀 白山春邦 昭和11年7月10日 アルス
E新装普及版(四六判)装幀 恩地孝四郎 昭和17年6月15日 アルスである。


 白秋は昭和12年10月から12月にかけて、雑誌『多磨』に「『白南風』改訂覚書」を発表しているが、それによると、改訂版では、初版刊行後、「意に満たぬもの多くを補正し、或は以前の原作に還し」たという。覚書では、後日のために両者の異動を列挙して、それらの推敲の跡を明瞭にしたとして、112首について例示している。「なほ、初版本の作品も、必ずしも当初各雑誌に発表した原歌といふ訣ではなく」、「折々、或は校正の際に改訂したものが夥しい」とも付言している。 白秋は一度書き上げたものを何度も書き直す癖のある人である。

 たとえば、「天王寺墓畔吟」の「T・朴はひらく」では「松の花あかる日並を巣に群れて丹頂の雛は早やあらはなり」(初版)と「松の花あかる日数を巣藁には丹頂の雛の早やあらはなり」(改訂版)の異同から始めているが、今回購入したもののうち、原本の書き込み箇所と照らし合わせてみると、そこでは「あかる」の側に自筆で「にほふ」「けむる」と候補の言葉が並んでいる。

 これは大した異同ではないが、次の「若葉して日射明れどこの空や朝より煤のきらひふりつつ」(初版)「若葉して光る日射の庭ながらしみみに黝く煤はふりつつ」(改訂版)になると、
原本では@「若葉して著しき日射をこの庭や下り来る煤の繁(しみ)る沁みつつ」A「若葉して日射し明きをこの庭や眼にけぶる煤の繁に下りつつ」A「若葉して日ざしはげしくなりにけり谷中は煤の繁にふりつつ」B「若葉して日ざし明きをこの空や谷中は煤の繁にふりつつ」や、また「日射明れど」に傍線が付され、横に「日並明れど」、「朝より」の横に「谷中は」、「きらひ」の横に「いたも」と候補の歌や言葉がいくつも並んでいる。

 あるいは、同「U・月光佇立」の「隈だちて家(や)廂(びさし)ふかき月の夜もおもての墓地は照りまさりつつ」では、このページの上に@「隈だちて家廂ふかき月の夜もおもての墓地ぞ照りまさりたれ」A「隈だちて家廂ふかき月の夜もおもての墓地は照りまさりつつ」D「家廂ふかき月の夜もおもての墓地は照りまさり来る」と候補歌が並び、また活字になった元歌の右脇にB「家廂ふかき月の夜も」の「も」の選択肢として「に」「や」が並び、「おもての墓地は」の「は」の選択肢として「ぞ」「の」、「照りまさりつつ」の選択肢として「照りまさり見ゆ」「照りまさり来る」、また「家廂ふかき」の脇にC「ふかき廂を」、「照りまさりつつ」の「つつ」の脇に「来る」と書いてそれが傍線で消してある。

 このような例は枚挙に暇なく、特に第1章に当る「天王寺墓畔吟」に集中している。ただし、これらの書き込みはすべて改訂版に反映されていない。これをどう捉えるかは今後の問題だが、可能性の一つとして、反映されていないからこそ逆に書き込み本の重要性が高いとも考えられるし、また別の原本の存在について考えるべきかもしれないが、いずれにせよこのことの研究は、書き込み本に興味を示される本学図書館の利用者に委ねたい。なお、「編輯用」本の方の書き込みは、すべて初版本で訂正されていることが確認できた。

   
    



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