図書館では、毎月1階の展示コーナーにおいて、貴重書などの展示を行っております。

ぜひ、貴重な資料をご覧ください。

<2008年10月は、近藤重藏です。>

【近藤 重藏】 (1771年 − 1829年)

江戸後期の幕吏、北地探検家。諱(いみな)は守重(もりしげ)、号は正斎(せいさい)、昇天道人。

明和(めいわ)8年幕府与力(よりき)の子として江戸に生まれる。1798年(寛政10)幕府蝦夷(えぞ)地調査隊に加わり、択捉(えとろふ)島に渡り、「大日本恵登呂府」の標柱を建てる。以後1808年(文化5)松前奉行(まつまえぶぎょう)付出役から書物奉行に転出するまで蝦夷地に関係し、千島方面を探検すること数回、択捉島への渡航路や同島の漁場開設などを指揮し、千島開拓の基礎を築いた。また、西蝦夷地調査にも従事し、現在の札幌の地を蝦夷地警備の拠点とする意見を具申し、1500巻を下らないという書物を著している。長男富蔵(とみぞう)の殺傷事件のため大溝(おおみぞ)藩に預けられ、文政(ぶんせい)12年6月9日59歳で没した。著作に「金銀図録」「巡夷録」「辺要分界図考」「宝貨通考」など。

(『日本大百科全書』小学館より引用)

 【えぞ地関連年表】




               
                              『蝦夷生計圖説』 と 『蝦夷島奇観』



                            近藤重藏と江戸時代の蝦夷地

                                                       文化史学科教授  梅澤 秀夫

  今回は、清泉女子大学附属図書館の蔵書のうち、近藤重藏と江戸時代の蝦夷地に関する文献を展示・解説することになった。近藤重藏は私の現在の研究テーマでもあり、私個人が入手した文献も併せて展示する。

                                    近藤重藏

  近藤重藏(1771〜1829、諱(いみな)は守重、正齋と号す)は18世紀末から19世紀初頭に蝦夷地(江戸時代に現在の北海道、千島列島、ロシア領サハリン一帯を指す名称)を探検し、特に千島列島のエトロフ島にまで渡って「大日本恵登呂府(エトロフ)」という標柱を立てたことで知られているが、この行動は江戸幕府による蝦夷地直轄政策の一環であった。
  ロシアは広大なシベリアを東進し、17世紀末にカムチャツカ半島を征服した後、18世紀を通じて千島列島伝いに勢力を南下させる。この事実を知った江戸幕府は、蝦夷地の問題を松前藩に一任してきたこれまでの政策を改め、幕府が直接蝦夷地を掌握し、先住民であるアイヌの人々をも巻き込んでロシア勢力の脅威に備える政策を打ち出すようになる。18世紀末から19世紀前半にかけて行われた「蝦夷地の第一次幕領化」といわれるものがそれである。
  幕臣ではあるが、先手与力という低い身分に生まれた重藏は、少年時代から幅広い分野の学問を修めていたが、寛政期(1789〜1800年)に新たに始まった幕府の「学問吟味」(儒学などの学力試験)を受験し、優秀な成績をおさめて頭角を現した。更に長ア奉行に就任した中川忠英に能力を認められ、「長ア奉行手付」(奉行の補佐官)として長アで活躍する機会を得た。ここで重藏は当時の中国(清朝)の風俗について長ア在留の中国人から情報を得、『清俗紀聞』を著したのをはじめ、諸外国に関する情報や外交文書を調査し、『安南紀略』『天川紀略』『外国通書略』『外国書翰』などを編纂している。このように幕府が必要としている情報を、膨大な文献を博捜したり関係者からの聞き取りによって集め、批判検討を加え、当時の最新情報を集めた資料集を精力的且つ素早く作り上げるのが近藤重藏の優れた能力の一つである。
  しかし書斎で文献に埋もれて調べ物をする考証家というのは近藤重藏の一面に過ぎない。もう一つ、様々な困難・危険をものともせず、未知の世界に果敢に飛び込んで行く探検家の側面をも併せ持つ。当時の幕府が関心を強めつつあった「蝦夷地」は、まさにそうした重藏の両方の能力を遺憾なく発揮できる舞台であった。

                                   重藏と蝦夷地

  長崎から江戸に戻った重藏は、寛政9(1797)年幕府勘定方(財政を扱う部署)に職を得るとともに、中川忠英を通して、外国船が蝦夷地にしばしば接近している現状に鑑みて、幕府が北辺防備のために抜本的な対策をとる必要があるとする意見書を老中に提出した。翌年、幕府は蝦夷地を松前藩から取り上げ、直接管理に乗り出すことを前提に、大規模な現地調査隊を派遣する。重藏もロシアと接する最前線の地を踏査すべくはるばる千島列島のエトロフ島にまで到達し、ここからエトロフ島を開発し、ロシアの南下を食い止める最前線とするべしとする意見書を幕府に提出する。翌寛政11年、幕府は東蝦夷地を当分の間直轄することを決定し(数年後には永久に直轄するとともに、更に松前藩を他に移して西蝦夷地をも直轄する)、蝦夷地管理のためのスタッフを編成するが、もちろん重藏もその一員に加えられ、エトロフ島に派遣された。ここで重藏は幕府御用商人高田屋嘉兵衛の協力を得て、エトロフ島で大がかりな漁業開発などを行い、貧しかった現地のアイヌの人々を雇用して経済的な恩恵を与え、日本側への帰属意識を高める事業に奔走した。その一方でロシアとの接触を断つため、既にロシアの支配下にあってロシア正教への改宗が進んだ北千島のアイヌの人々との交流を禁じてもいる。

                                蝦夷地の調査研究の進展

  このように幕府は蝦夷地の直轄に着手したが、中世以来長い間アイヌの人々に接し、その文化や社会・慣習などを熟知している松前藩と違って、江戸の幕府にとって蝦夷地は全く未知の世界であった。アイヌの人々を導いて経済的に豊かにし、ロシア勢力に取り込まれないようにするとともに、ロシア勢力の南下を食い止めるという政策目標は明確であるが、その実現のためには蝦夷地の実態やアイヌの人々の社会や文化、ロシアの文化や政策など様々な方面についての正確な情報を集める必要があった。そのため、幕府は当時の最新の科学技術や学問的な知見、調査方法を駆使して情報を集めようとする。
  近藤重藏は北方地域の地理や先住民の実態、ロシアの現状等について、蘭学者によって紹介されたヨーロッパの世界地理書や歴史書、中国からの情報、さらには現地で収集した情報を集めて、文化元(1804)年『辺要分界図考』(『近藤正齋全集巻一』所収)を著し、幕府に提出する。
  この他にも、伊能忠敬は最新の測量技術を使って正確な日本地図を作成するが、その最初の測量値は蝦夷地であった。しかし道路や十分な宿泊施設もない蝦夷地の測量は困難で、忠敬自身は途中で断念し、蝦夷地で忠敬に出会って測量術を学んだ間宮林蔵らによって蝦夷地の地図は完成する。
間宮林蔵は多くの困難・危険を乗り越え、樺太から更に大陸(満州)に渡り、当時ヨーロッパ人にも知られていなかった樺太北部からアムール川下流域一帯の地理や民俗の調査を行っている。
また、アイヌの人々の社会や文化の調査も行われる。重藏は村上嶋之允(秦檍丸(はたあわきまる))という人を蝦夷地に伴うが、彼は日本国内で地誌の編纂の仕事に携わっていた人物で、アイヌの社会や文化についてきわめて精密な観察を行い、その成果は『蝦夷生計図説』や『蝦夷嶋奇観』などに克明な図入りで記述されている。当時はもちろん近代的な人類学や民俗学の調査方法が確立していたわけではないが、偏見や先入観をできる限り排除し、アイヌの社会・文化の内側に入って正確に一つ一つの事象の意味を読み取ろうとする姿勢はきわめて学問的であり、江戸時代の民族誌記述の最高峰とも言うべきものであろう。現在、失われたアイヌの生活文化を復元する試みが種々なされているが、そのような場合の資料としても使われているとのことである。
  今回はこの村上嶋之允の民族誌2点の複製版と近藤重藏の書いたものを収録した『近藤正齋全集』(全3巻、明治38年、国書刊行会刊)と、東京大学史料編纂所編『大日本近世史料 近藤重藏蝦夷地関係史料』(全3巻及び附図、昭和59〜平成元年、東京大学出版会刊)その他を展示する。前者は近藤重藏の『辺要分界図考』をはじめとする著作類を収録すると同時に、第1巻には村尾元長による「近藤重藏事蹟考」を収めている。後者は重藏の草稿類からなる「近藤重藏遺書」という史料群(重要文化財)の中から、蝦夷地関係のものを選んで東京大学史料編纂所が翻刻・出版したものである。
                                     


【本学所蔵 蝦夷関連資料】
       
                 
                                    『アイヌ民族写真・絵画集成』 


                           
            『アイヌの歴史と文化』            『天明蝦夷探検始末記』             『アイヌと「日本」』


                                               
                     『辺境から眺める』                       『辺境を歩いた人々』        
                   
                           



図書館内の【近藤重藏】関連展示風景
北海道大学附属図書館 北方資料データベース
近藤重藏 (Wikipedia)
北海道根室市の歴史のページ


〔Close〕