清泉女子大学

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旧島津公爵邸

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本物の文化に触れる環境として学びの場を提供し続ける
東京都指定有形文化財
清泉女子大学の象徴であるこの建物は、大正時代に旧島津公爵邸としてイギリス人建築家ジョサイア・コンドル氏により設計されたイタリア・ルネサンス様式の洋館です。
建設当時から奇跡的に現存するステンドグラスなど、現存する氏の住宅建築作品として歴史的価値のあるこの施設を、本学ではいまも学びの場として使用し、学生たちに本物の文化に触れる環境を提供しています。

本物の文化に触れる環境として学びの場を提供し続ける東京都指定有形文化財

概略と歴史

公爵邸が完成する前の島津邸
本学を構えるこの地は「袖ヶ崎」と呼ばれ、元文2(1737)年仙台藩伊達家の下屋敷(敷地面積22,670坪)となり、明治初年に島津家の所有に移るまで約130年間使われました。

主に公式行事の開催場所に使用され、大正12(1923)年の関東大震災後は、この邸宅のみが無傷であったことから、ご家族の住居として使用されていました。

明治20年代頃の島津邸伊達家の日本家屋をそのまま使っていた

明治20年代頃の島津邸

J.コンドルが設計、洋画家黒田清輝指揮の下、大正6(1917)年島津公爵邸が完成

J.コンドルが設計、洋画家黒田清輝指揮の下、大正6(1917)年島津公爵邸が完成
袖ヶ崎邸は、当初伊達家の大名屋敷をそのまま使用していましたが、老朽化が進んだため洋館を新築することを計画し、日本政府の招きにより来日して工部 大学校建築学科教授であった英国人J.コンドル氏に明治39(1906)年に設計が委属され、その後数度の設計変更を経て、大正4(1915)年に建物は竣工。その後洋画家で知られる黒田清輝の指揮の下、館内の設備や調度が整えられ、大正6(1917)年に落成しました。
公爵邸にて、大正天皇・皇后の行幸啓が行われる
大正6(1917)年5月に大正天皇、皇后が行幸啓され、この折、寺内首相、松方正義、牧野伸顯、山本権兵衛、東郷平八郎、樺山資紀等の政府高官、陸海軍の将星等が多数参列しました。3日後、島津家では新築披露のため朝野の名士約2,000名を招待し、盛大な園遊会を開催しました。

大正6年5月11日新築披露園遊会

大正6年5月11日 新築披露園遊会
清泉女子大学本館となるまでの公爵邸
昭和初期に金融恐慌のあおりで島津家も財政的な打撃を受け、当初2万8千坪あった敷地を昭和4(1929)年には8千余坪を残し、周辺部を売却、その後第二次世界大戦の苛烈化に伴い大邸宅の維持が困難となり、島津家は袖ヶ崎邸も日本銀行に売却しました。

戦中、戦災を免れた邸宅は、戦後昭和21(1946)年1月にGHQの管理下に入り、駐留軍の将校宿舎として昭和29(1954)年まで使用されました。

そして接収解除後の昭和36(1961)年7月、清泉女子大学は日本銀行から土地と建物を購入し、昭和37(1962)年4月に神奈川県横須賀から大学を移転して、今日に至っています。

設計者と建築

ジョサイア・コンドルJosiahConderIII

ジョサイア・コンドル Josiah ConderIII
(1852/9/28~1920/6/21)
英国・ロンドン出身の建築家。明治10年(1877年)日本政府の招きにより来日したお抱え技師で、工部大学校建築学科の教授になると共に、数多くの官公署の建物や華族、豪商の邸宅の設計にあたった。主なものとしては、鹿鳴館、御茶ノ水ニコライ堂、岩崎久彌邸、古河虎之助邸、三井倶楽部、旧東京帝室博物館、旧海軍省、旧大審院等がある。辰野金吾ら、創生期の日本人建築家を育成し、建築界の基礎を築いた。
建築物解説
古典主義に則ったルネッサンス様式
島津邸は煉瓦造、地上2階地下1階建、建坪約280坪の大邸宅である。建築様式はルネッサンス様式であるが、特にベランダの柱頭飾りは、1階がトスカーナ様式、2階がイオニア様式で古典主義の規範に従っている。

古典主義に則ったルネッサンス様式


バロック調のベランダと堅牢な外壁
南側の芝庭に面して円弧状のベランダや同じく円弧状に突き出た窓などバロック的な要素も加味されている。外壁は当時最先端のデザインだった白タイル貼りで、建物のアウトラインを強調するかのように貼られた隅石には灰色の新小松石が使われている。また、関東大震災にも揺るぐことのなかった堅牢な建築でもある。

バロック調のベランダと堅牢な外壁


当時の生活がうかがえる内装
建物全体はT字型で、1階はほぼパブリック・スペースで南側の接客部分と北側の使用人部分からなり、2階は家族のプライベート・スペースである。

1階は大小の応接室が南側の芝庭に面して並び廊下でつながれ、その廊下は玄関ホールに向かっている。このホールを中心に、公爵の書斎、大食堂と家族の食堂、階段室と玄関室が配されている。

当時の生活がうかがえる内装

2階には公爵夫妻の寝室や子供室、浴室などがあり、暖炉の枠は1階が大理石であるのに対して、2階は木製である。しかし、1階と同様の円弧状の窓のある夫人客室の暖炉だけが白い大理石製であるのは、大正天皇皇后の行幸啓時に眺めの良いこの部屋を便殿(休憩所)として使用する予定があったからだと考えられる。

当時の生活がうかがえる内装2


設立当初からほぼそのまま残る装飾
階段の手摺や暖炉の彫刻、天井の漆喰装飾やステンドグラスは、ほぼ当時のままの姿で残されている。旧島津公爵邸はコンドルの設計による数少ない現存住宅建築の遺作として、彼の晩年の力作の一つに数えることができるものである。

設立当初からほぼそのまま残る装飾

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